オンナを美学する。

「女の美学」とタイトルしたものの、【オンナ・ヲ・ミガク】に等しい。
みがく材料、ツールは巷に氾濫している。

ここでは独断と偏見で、お役立ちツールをチョイスしたい。
もちろん、人によっては全く役に立たない代物掲示もあろう。

そこは、あなたの博識と大人の女の対処で、大いに無視して戴きたい。



女と船旅。

船旅がしたい。半年程できたら最高だ。

国内での乗船は経験したが、船旅という優雅さにはやや掛けた。それでも、楽しめた。遠くの、太平洋の波間を見ながら朝湯に浸る。早朝の誰もいない船上の朝風呂。僅かながら湯が揺れるのが分かる。客船は移動中である。大きなガラス越しの窓からは、ただ青い海原の水平線が見えるだけで行き交う船もない。差し込む朝日と朝湯が、優雅な気分にした。


日中は、渥美清の『男はつらいよ』の寅さんシリーズを見た。船上・異種の空間での映画故、鮮やかに焼き付いている。船旅のメリットは何もしない、のんびりできる空間である。


タグ:女と船旅。
posted by 女の美学 at 03:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女の美学-追憶篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

続・女と船旅。

四国のクルージング。これは和歌山から旅立った。乗船した船はカタマラン、いわゆる双胴船。二つの船を並列にした形で、波への安定感がある。操舵室と2LDK程のリビングがあり定員15人乗り程だったか、実際はもっと乗れただろう。船倉はベッドルーム。3階部分にも舵取りのハンドルがあった。船外機はパワフルな北欧製が2基。クルーザタイプだろうが、ハウスボートに近い成りだった。

瀬戸大橋を通り、鳴門の渦潮を直近で見た。吸い込まれそうだった。友人の知己である老練の舵取り役が、渦潮と共に回りながら、エンジンを全開して難なく通り過ぎた。しかしこの日、翌日の夜間航行でのハプニングは知る由もなかった。

そのハプニング。夜間航行の為、渦潮のうねりの目測を誤ったのか、「ドーン」と、突然、船が何か大きなものに衝突したような大きな衝撃音と共に、船倉のベッドで仮眠中の私の体を突き上げた。30センチ程浮き上がったかも知れない。それで目が覚めたのだが、最初は、誰かが、階段を踏み外してベッドルームの壁にでもぶっかったのかと、寝ぼけ眼で薄暗いルームを見やった。

眠気の覚めない呆然とした中で、刹那、浸水したらこのまま死ぬかもしれないと、妙な思いがよぎった。後で知ったが、最上階にいた仲間数人は優雅に夜風に当たっていたのか、不意の渦潮への衝突に無防備で、船のあちこちにぶつかり、衝撃で前歯を折ったりした者もいた。底板一つと言うが、安全航海に限る。

しかし、あの日、海で潜って収穫したての鮑を肝醤油につけ、食しながら飲んだワインは旨かった。船と海の贅沢は、極上である。

posted by 女の美学 at 03:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女の美学-追憶篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女とあの頃のまま。

湘南の海、風、太陽。

特別な意味があった訳ではない。時間が空くと車を飛ばしては海を眺めた。潮風の香り、打ち寄せる小波、素足に感じる砂浜の心地よさ、それだけですさんだ気持ちが和らいだ。


早朝の浜辺、人気のない夏枯れの浜辺。喧騒のない夕刻の浜辺、中でも落日の浜辺は大のお気に入りだった。それは今でも変わらない。その内、南湘南の地に居を構えた。富士山と丹沢の稜線が落日の影に輪郭を表わし、見事な赤焼けの夕景色が相模湾、湘南の海越しに鮮やかに浮かんだ。夏枯れの、そのひとときの夕刻の鮮烈な色の記憶が、南湘南へ住まわせた。


歌名「あの頃のまま」。時に【ブレッド&バター】の特集をTVで見る機会があった。まさに、あの頃の湘南、その時代を想起し、歌詞のサビ部分では思い募るものが心中を震わせた。今ではユーミン他、色々な歌手も歌う、あの頃のまま。彼女の歌もまた、去り行く若い時間、過ぎ去った時代を思い出させる歌い手の一人だ。

posted by 女の美学 at 08:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女の美学-追憶篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女と落日の浜辺。

落日の過ぎた薄闇の湘南秋谷の海岸。散策していると、何処からともなくアルトサックスの音色が響いてきた。

【Left Alone】・・・巨匠・マル・ウォルドロンの名曲。見回すと海に向ったその先に、一人の青年らしき人影がおぼろに映った。その人影は、スタンダードな曲を数曲吹き続けた。そこそこ上手い。

夕闇の中に佇んで耳をそばだてては、つい聞き及ぶ。人目を忍んだ変な形となった。Jazz好きには堪らない。聞き惚れてつい長居してしまう。

東屋に腰掛けた傍らに、ビールでもあればいいと思った。音の止んだ間の薄闇に拍手しようと思ったものの、幾分の照れが邪魔した。シャイで情けない。

posted by 女の美学 at 23:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女の美学-追憶篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女と【Big City SHIBUYA】。

今は知らない。

夜中の渋谷の駅ビル構内では、夜毎、ミュージシャンのゲリラ・パフォーマンスがあった。そこでは、NYあがりのJAZZマンが、アルトサックスを演奏していた。その頃、渋谷という街は、NYでも有名だったらしい。SHIBUYAで演じることは、ステータスだったという。

彼らは、あるレーベルからリリースしているプロだった。JAZZは、直近のライブが最も有効で臨場感があり、激烈興奮する。異種の空間での音の響き、イレギュラな臨場感での息吹と熱気、空気の振動。肉体へのバイブレーション。


場所を移る以前の青山のブルーノートTOKYOのライブ・ステージ。形式めいた舞台より、その興奮度はイケテル、そんな風に感じた。音楽の原点、演じる方、聞く方の妙味は、構えのないラフなスタイルのここにあるのかも知れない。

ストリート・パフォーマンスは、大衆の反応を直接に伺えるプレイヤーの王道でもある。タイムラグのない、リアルタイムの活きたマーケティングとセールスプロモーションの両得である。聞き惚れたお陰で、時に、終電に乗り遅れそうになったのは、ご愛嬌である。


posted by 女の美学 at 01:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女の美学-追憶篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女と父の日。

父の日は、母の日に隠れて、ひっそりとしている。母の日ほど華美ではない。母に贈るなら、花がよい。考えるまでもなく単純にモノが決まる。だが父となると、贈るものに幾分、迷いが生じた。さて、どうしたものか。

リタイヤして優雅に暮らす父に、モノは必要なかった。モノを喜ぶ父ではなかったような気がする。母は、花があれば部屋が華やぐと喜んだ。単純で迷いもなかった。 

趣味という程のモノを持合せぬ父が、ある時から、懸命に登山に母と興じた。興じついでに日本の山々を概ね征服すると、今度は海外へと嗜好が変わり、ヨーロッパ・アルプスのマッターホルンへ参じた。無論、登頂ではなく眺めに赴いたに過ぎない。その後は、ニュジーランドの山と雪渓、氷河。年に数回、旅を含めては狂ったように出掛け始めた。客船でのライン川、オリエント急行、南仏、イタリア、他のEUの国々、万里の長城、桂林・水墨画の景色の世界。

一見、出不精かに見えた父の行動は、事前の調査資料収集好きで、嵌ると凝り性になる。最近、この血は、私が引受けたかと思うようになった。

韓国の鎮海で生誕した父は、暫くして幼少時を台北で過ごした。その後、佐世保、横須賀等々、祖父の転勤で転々と居を移す事になったらしい。昔日の少年の足跡を辿る様に、台北に赴きたいと願った父の思いは、肝癌の疑いで中断し、何時しか立ち消えとなった。

180cmの大柄の体躯は45キロ程に落ち、体力と気力が失せたように、或る日から、旅の事を口にしなくなった。父には色んな事を学び、色々な恩恵を受けた。今も受けているのだろう。果たして、父への恩返しは何時できるのだろう。

韓国の重要な軍港都市【鎮海】は、釜山から近い。桜が見事だという。日本統治の名残なのだろうか。その花の咲く頃、父と旅立ちたかった。鬼籍となった今では悔いが残る。大好きだった海軍士官の祖父もまた、統治時代には桜の植樹に関わった一人なのかも知れない。共に育った父の妹の叔母とそこへ赴ければ、叔母もまた当時を偲ばれるだろう。

父の日は特別であり、特別ではない。今は父を思いし時が、父の日なのだと思う。

 
posted by 女の美学 at 04:33 | Comment(1) | TrackBack(0) | 女の美学-追憶篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女と水掛け論。

お盆は墓参りとセットである。

幼少の頃は男女問わず、闇夜の墓で肝試しをやった。正直、怖かった。背筋に悪寒が走った。何人かのグループで墓に近付くと、誰かが小さな悲鳴を上げた。その悲鳴に過敏に反応した誰かが、追打ちを掛ける様に更に大きな悲鳴を上げて走り出すと、恐怖がグループ中に連鎖し、我先に誰もが恐怖の墓を背にしてドタバタと走り出した。きっと、運動会のカケッコより早かったに違いない。

時折、逃げ走る途中で足が縺れて前のめりに倒れる者・・・遅れた誰かが、闇夜の中で、その上に更に倒れこむ。先に倒れた者は黒い夜の中で、亡霊に掴まれたと思いパニックになった。

それでも少年、少女達は懲りずに、真夏の夜の僅かな時間をスリリングに興じた。安眠を妨げられた御先祖様たちは、さぞや煩かっただろう。


さて墓に参ると周りを掃除したり、墓石を綺麗に化粧する。ついでに水を墓石の天辺より掛け流す。掃除の時はよしとするも、普段の参りで水を天辺より掛け流す行為は失礼な事だと何時しか教わった。

頭にイキナリ水を掛ける行為・・・確かに失礼だし先祖も冷たかろう。当然の如く水掛していた行為を、何時しかやらなくなった。ただ、それが本来の在り方なのかどうかは、確かめた訳ではない。地域、宗教により異なるものかも知れない。

posted by 女の美学 at 11:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女の美学-追憶篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女とMy Honey。

その時代、My Funny やMy Honeyが、何処にいたか知らない。
胸を焦がす切ない時分、漠たる焦燥と不安、未知なる思索に耽りながらJazzを聴いていた。


My Funny Valentine


青く倦んだ時代、Jazzに触れながら岩波の頁の余白に、思い連ねた人への感慨や稚作を懸命に記した。深い溜息と刹那のすさんだ時、四谷のイーグルは疲れを癒す場であり、逃避所であり、慰めの場所だった。

友人や後輩も出入していたその喫茶で、意外に殆ど顔を合わす事がなかったのは有難く、自身の世界に浸り、孤独を味わうには程好く心地良い空間だった。

時代の残り香を放つその店内は、木作りのシンプルな装いだった。頭をカラにしながら・・・考え事をしながら・・・漠たるモノに気圧されながら、今は少なくなった癒し場での時の記憶。ナガラ族の本能は、さして今も変わらない。空腹になると、帰途に立ち寄った近くのこうやの熱い雲呑麺。今では懐かしい味になった。


 

posted by 女の美学 at 07:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女の美学-追憶篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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